ペッテンコーファーと鴎外-19世紀の予防医学と文学の交差点

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NIPPONip vol.76にも寄稿された「ペッテンコーファーと鴎外-19世紀の予防医学と文学の交差点」著:お茶の水女子大学名誉教授 田中辰明先生 の記事をオンラインでもご紹介します。(画像も著者提供)

Max Josef von Pettenkofer

森鴎外は明治17年、明治政府の命を受けてドイツに渡り、ペッテンコーファーに学びました。鴎外以外にも多くの日本人が彼のもとで学んでいます。

緒方正規は、1881年にペッテンコーファーのもとで衛生学を学び、帰国後は、東京帝国大学医科大学学長、東京帝大教授を務めました。

中浜万次郎(ジョン万次郎)の長男である中浜*東一郎 (*濱)は、1885年に衛生学を学ぶ為ドイツに留学し、帰国後は日本でペッテンコーファーとの書面のやり取りをし、思想を広めています。

後藤新平も1890年にドイツ留学し、ペッテンコーファーに衛生学を学び、指導のもと、日本と他国々における医事警察(Medizinalpolizei)と医事行政(Medizinalverwaltung)の比較論を執筆しています。

ペッテンコーファーと鴎外
-19世紀の予防医学と文学の交差点

ミュンヘンにあるペッテンコーファーの墓はいつも花で飾られている。著者撮影

マックス・フォン・ペッテンコーファー、彼の名を知っているだろうか?あのミュンヘンという街で、医学の道を究めた一人の衛生学者。

時は19世紀、彼の歩んだ足跡が歴史の中に残る。1831年から1832年にかけて、街はコレラの恐怖に見舞われ、さらに1840年にはチフスが猛威を振るい、その死者は数えきれなかった。

ペッテンコーファーがミュンヘン市内に水道を引いた水源地カスペルバッハには 記念のオベリスクが建つ。著者撮影

当時、人々は地下に流された汚物を無邪気に井戸水で洗い流し、井戸の水をそのまま生活に使っていた。そんな時代にあって、ペッテンコーファーは地下水が病の原因であると断じ、アルプスの伏流水が湧き出す場所から、街に水道を引いた。

それだけではない。

百姓たちが農地に撒くために家庭の糞尿を集め、取り引きの対象としていたが、彼はそれに立ち向かう。

反対の声を押し切り、ついには下水道の整備に着手した。その結果として、街の疫病はようやく鎮まったのである。

その功績は、バイエルン国王ルドビッヒⅡ世にまで届き、1890年にはついにミュンヘン大学の学長に任命されたのだ。

しかし、歴史の流れは決して単純ではない。

森 鴎外

森鴎外、あの軍人であり作家である鴎外は、明治17年、明治政府の命を受けてドイツに渡り、ペッテンコーファーに学んだ。

そして、1886年6月13日、シュタルンベルガー湖で発生した王の死。ルドビッヒⅡ世、その名は「夢の王」として語り継がれ、彼が築いた豪華な城の数々、特にノイシュバンシュタイン城が世界的な名声を得ることとなる。

しかしその心の奥には、音楽や芸術への深い情熱を抱えながらも、精神的な不安定さが影を落とし、内政や外交にはほとんど関与しなかった。彼が沈んだ湖の水面に浮かび上がったのは本人と侍医の死体だけだった。その真相は謎のままであり、死因については自殺説や他殺説が飛び交う。

シュタルベルグ湖畔に建つルドヴィッヒⅡ世の慰安に建設されたチャペル。右はシュタルンベルグ湖でルドヴィッヒⅡ世の遺体が発見された場所には十字架が建つ。著者撮影

森鴎外はその事件に触発され、後に『うたかたの記』という小説を発表する。

この作品において鴎外は、王の内面を深く掘り下げ、彼が抱えた孤独と不安を、まるで水面下に潜む魚のように静かに描き出した。王の死が示すもの、それはただの終焉ではなく、内面に潜む無数の苦悩と闇であり、鴎外はそれをあえて表現しようとしたのであろう。

やがて、鴎外はペッテンコーファーのもとを離れ、ベルリンへと移る。ベルリンでコッホに学び、彼の手法を受け継ぎながら、私小説の金字塔である『舞姫』を発表する。この一連の出来事が、鴎外の作家としての道を確立することとなったのである。

著者紹介

田中辰明
日本の建築学者、お茶の水女子大学名誉教授

東京生まれ。1963年早稲田大学理工学部建築学科卒、65年同大学院理工学研究科建設工学専修修士課程修了、大林組技術研究所勤務。1971 – 73年ドイツ学術交流会奨学生としてベルリン工科大学ヘルマン・リーチェル研究所客員研究員。1979年「建築外皮構造の熱的評価に関する研究」で早大工学博士。1993年お茶の水女子大学生活科学部教授。2006年定年退官、名誉教授。同年ドイツ技術者協会(VDI)よりヘルマン・リーチェル栄誉メダルを授与される。

主な著書に 『防寒構造と暖房』理工図書(1993)、 『ブルーノ・タウト 日本美を再発見した建築家』中公新書(2012)、 『ブルーノ・タウトと建築・芸術・社会』東海大学出版会(2014)

amazon Kindle でも出版 「ハインリッヒ・チレが描いた労働者階級のベルリン近代史ーヒトラー出現まで」(日本Amazon)など  Kindle Unlimited なら読み放題です。ドイツamazonだと「建築断熱工法とその事例」が出版されています。

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