記憶に刻みたい 1953年6月17日の「東ベルリン暴動」

現在のドイツは、第二次大戦後、東西に分かれていた国が、1990年10月3日に再び統一されてできた国です。いわゆる旧西側に住んでいると、なかなか実感できないような歴史的な出来事が、いまでも旧東側の各都市では大切な記憶として伝えられています。その一つが、1953年6月17日に起こった『東ベルリン暴動』です。

東西に分かれていたドイツ

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皆さんもご存じの通り、ドイツは第二次世界大戦後、アメリカ、イギリス、ソ連、フランスからなる4国の共同管理下におかれていたドイツは、1948年以来、東西に分断されていました。

翌1949年5月に西側管理地域にドイツ連邦共和国(旧西ドイツ)が成立すると、それに対抗するような形で、10月にはソ連管理地域にドイツ民主共和国(旧東ドイツ)が成立され、二つの国家が形成されました。

そしてこのふたつの国家の間では、1950年代後半から徐々に経済格差が生まれていったのです。その先駆けとなるような出来事が、この東ベルリン暴動だといえるでしょう。

1950年代の世界情勢

アメリカ合衆国では

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1950年代の初めといえば、アメリカでは黄金期の幕開けとして、テレビ、冷蔵庫や洗濯機などの大型の家電製品、一軒家、大型車など、新しいものが次々に繁栄していた時代です。独立宣言書に記された幸福追求の権利に拠る「アメリカンドリーム」も、実際に信じられていた時代です。

日本では

また、日本では、1950年代始めの朝鮮特需を契機として、その後1954年から1957年まで続く「神武景気」と呼ばれる好景気時代、いわゆる行動経済成長時代の始まりを迎えていた時代です。

旧西ドイツでは

西ドイツも、1948年の貨幣改革(1924年~1948年6月20日までドイツの公式通過として使用されたライヒスマルクから、1948年6月20日~1998年12月31日までドイツ連邦共和国の通貨となったドイツマルクへの改革)以降、資本主義体制のもとで奇跡と言われた経済復興(ドイツ語: Wirtschaftswunder ヴィルトシャフツヴンダー)を遂げ、経済成長を続けており、国民は良い生活を送っていました。

旧東ドイツでは

一方、集団農場の建設など社会主義建設を進めていった東ドイツでは、1950年から1960年にかけて経済状況はどんどん悪化していきました。

景気の波に乗っている西ドイツと西ベルリンでを横目に見ながら、1953年6月17日の東ベルリンでは、何が起こったのでしょうか?

東ベルリン暴動の発端

Attribution: Bundesarchiv, B 285 Bild-14676 / Unknown author / CC-BY-SA 3.0

始まりは、東ドイツでの労働者のゼネストでした。

東ベルリンと東ドイツの約100万人が、政治的および経済的条件に対して、概ね平和的に抗議しました。 これらの人々は、増大する社会問題や、国家による抑圧への不満を表明していたのです。

旧東ドイツ社会主義統一党(SED)の指導部はデモに圧倒され、ソビエト連邦は厳しい態度で対応しました。そうして、あっというまに流血の国民蜂起として拡大していき、 6月17日には蜂起は、軍隊、人民警察、国家安全保障局による多大な努力によって鎮圧されました。

旧東ドイツの「労働規範」

Sozialistische_Einheitspartei_Deutschlands_Logo

では、東ドイツの国民は何に対してストライキをしたのでしょうか?

それは、ドイツ語でArbeitsnorm(アルバイツノルム)と呼ばれる「労働規範」、の引き上げにより、そのノルマを達成しない労働者の賃金をカットされたことに対して、労働者階級が、労働環境の改善を求めるためのものでした。

当時のドイツ民主共和国では、旧東ドイツ社会主義統一党(SED)により、一定の期間内に行われるべき「労働規範」が定められており、これには技術的および組織的要件、労働の実行に関する諸条件が記されていました。

ことの発端となったストライキは、6月16日に東ベルリンで始まりましたが、それが翌17日には、さらにライプツィヒやドレスデンなどでも拡大され、合計約600の工場や建設現場などが業務をストップしました。

旧東ドイツ政府は、ソビエト連邦軍の助けを借りてこの蜂起を鎮圧した結果、50人以上の死者と、1万人以上の逮捕者が出ることになりました。

これは、後にハンガリー動乱(1956年)やプラハの春(1968年)など他の社会主義国家における民衆の要求を、ソ連軍が武力で抑えつける端緒ともなりました。

記憶に残すべき大切な日

しかしながら、この東ベルリン暴動は、国民が初めて共産主義体制に逆らった出来事として、またその後の東西ドイツ再統一へとつながる動機を培ったとして、現在でも記憶に残すべき、大切な日とされています。

Lemo – Lebendiges Museum Onlineのサイトでは、当時の映像がご覧いただけます。(ドイツ語のみ、約1分27秒) 画像が鮮明で、当時の様子が分かりやすいです。

https://www.hdg.de/lemo/bestand/medien/video-17-juni.html

 




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