11月が現在のように、ラテン語由来の「ノヴェンバーNovember」と呼ばれるようになる前は、「霧の月」「風の月」といったロマンチックな呼び名や、一転して「戦闘月・屠畜月」という物騒な呼び名でも呼ばれていたそうです。ドイツの11月の季節の言葉をご紹介します。
11月をテーマにした農家の言葉
「戦闘月・屠畜月 Schlachtmond」という物騒な呼び名は、この月に豚を屠畜して、長い冬を乗り越えるためにハムやソーセージに加工し備蓄したからでしょう。
冒頭でご紹介したのは、8世紀にカール大帝によって導入された古い呼び名のうちのいくつかです。
「霧の月 Nebelmond」「風の月 Windmonat」の他にも「霧立ち Nebelung」「冬の月 Wintermonat」「3つめの秋の月 Dritter Herbstmond」などという名称も使われていたそうです。
日本でも旧暦11月を「霜月」と呼んでいたのと似ていますね。
さて、ドイツの11月の季節の言葉をご紹介します。
Allerheiligen feucht, wird der Schnee nicht leicht.
カタカナ発音:アラーハイリゲン・フォイヒト、ヴィルド・デア・シュネー・ニヒト・ライヒト。
直訳: 諸聖人の日が湿っていると、雪は軽くない。
説明: 諸聖人の日(11月1日)に湿っている(雨が降る)と、その年はたくさん雪が降る、という意味のことわざです。
古くは「万聖節」(ばんせいせつ)と呼ばれていた諸聖人の日は、カトリック教会の祝日の一つで、すべての聖人と殉教者を記念する日です。
南ドイツ地方では、この日に「シュトリーツェル Striezel」と呼ばれるイースト生地の編み込みパン(ペイストリー)を食べる風習があります。
「湿っている」という意味のドイツ語「feucht – フォイヒト」と、「軽い」という意味の「leicht – ライヒト」が韻を踏んでいます。
Wenn’s an Karolus stürmt und schneit, dann lege deinen Pelz bereit und heiz dem Ofen wacker ein – bald zieht die Kälte bei dir ein.
カタカナ発音: ヴェンス・アン・カロルス・シュトゥームト・ウント・シュナイト、ダン・レーゲ・ダイネン・ぺルツ・ベライト・ウント・ハイツ・デム・オッフェン・ヴァッカー・アイン ― バルト・ツィート・ディー・ケルテ・バイ・ディア・アイン。
直訳: カルロスの日に嵐が来て雪が降ったら、毛皮を用意してオーブンを温めなさい。直に寒さがやってくるから。
説明: この日に吹雪いたりすると、一気に冷え込むということを言い表しています。
オーブン(ストーブ)を「温める einheizen」という意味の分離動詞の前綴り「アイン」と、寒さが「やってくる einziehen」という意味の、同じく分離動詞の前綴り「アイン」が韻を踏んでいます。
また、11月4日は、16世紀に聖職者の結成と反改革を推進したカール・ボロメオ枢機卿(1538-1584)の記念日です。
Sankt Martin kommt nach alten Sitten gern auf dem Schlitten angeritten.
カタカナ発音: ザンクト・マルティン・コムト・ナッハ・アルテン・ジッテン・ゲルン・アウフ・デム・シュリッテン・アンゲリッテン。
直訳:聖マルティンは古い風習により、そりに乗ってやって来る。
説明: 11月11日は、4世紀にフランス、現在のアンドル=エ=ロワール県のトゥールで亡くなった聖マルティンの日。
11月の半ばともなるとかなり冷え込むことも多く、聖マルティンの日には雪が降ってそりに乗れることもある、という意味のことわざのようです。
聖マルティンとそりとの関係を詳しく語る文献はみつかりませんでしたので、どなたか詳しい方がいらっしゃれば編集部までお知らせくださいませ。
「古い風習」を意味する「アルテン・ジッテン」と、「そりに乗ってやって来る」を意味する「シュリッテン・アンゲリッテン」が、「テン」の連打で韻を踏んでいます。
彼は別名、トゥールのマルティン(フランス語ではマルタン)とも呼ばれることがあります。日本では「トゥールのマルティヌス」という名でも知られていますが、ドイツ語ではマルティンが一般的です。
「マントの伝説」で有名なマルティンはキリスト教の聖人で、ヨーロッパ初の聖人でもあります。もともとは軍人でしたが、10歳のころからキリスト教に親しみ、洗礼志願者となりました。
マントの伝説
マルティンが18歳の時、ある非常に寒い日、アミアンの城門で、半裸で震えている物乞いを見ました。彼を気の毒に思ったマルティンは、自らのマントを2つに引き裂いて、半分を物乞いに与えました。
この物乞いはイエス・キリストであったといわれ、マルティンがその夜見た夢に、乞食に与えたマントの半分を身にまとったキリストが現れ、天使達に向かって「ここなるはいまだ洗礼を受けざるローマの兵マルティン、われに衣を与えし者なり」と言ったということです。
中世ヨーロッパにおいて最も人気があった聖人の一人で、今日でも多くの人々の崇敬を集めています。
371年に彼は人々の推薦でトゥールの司教に選出されました。ある伝説(ガチョウの伝説)によると、彼は選ばれたくなかったので、ガチョウ小屋に隠れていたと言われています。しかし、ガチョウが大きな声で騒いだので、マルティンはみつかってしまい、ついに就任しなければなりませんでした。
この逸話から、今日でも11月11日の聖マルティンの日の食事として、ガチョウを食卓に運ぶ習慣が残っています。
またこの日の夕方には、幼稚園の園児(とその両親)や小学校の生徒を中心に、各教区でランタン(提灯)を使ったパレードが伝統的に開催されます。