ドイツ在住の建築家 ミンクス典子さんインタビュー(こぼれ話)

高校生のとき、地元・福岡で通っていた図書館の建築美に魅せられ(設計は、世界的建築家・磯崎新さん)、建築家の道へと進んだミンクス典子さん。NIPPONip本誌68号のインタビューでは、ドイツで建築家として活躍する姿を中心に掲載しましたが、こちらでは、建築家に付随する事柄、ライフワークなども合わせてお届けします。

*ミンクスさん返答=以下、ミ

大学在籍中、すでに海外での就職を見据えていたミンクスさんですが、建築学以外に、英語力も磨かれていたのでしょうか?

ミ:英語の勉強はしていましたが、大学を卒業後、最初の就職先(ウィーン)の公用語はドイツ語だったんですね。はじめは英語で喋っていたけれど、やはり住居探し、銀行口座の開設など、どうしても日常生活にはドイツ語が不可欠。それで、ウィーンの設計事務所に1年間勤めた後、それから9ヶ月間は集中的にドイツ語を学びました。C1を取得後、デュッセルドルフの日系建設会社に就職。あとは現場でドイツ人とケンカしながらドイツ語を身につけました。

たくましいですね!デュッセルドルフの建設会社では、やはり設計を担当されていたのですか?

ミ:そうです。設計部でオフィスの拡張や、レイアウト変更など小さな物件から大きなプロジェクトまでいくつか担当しました。また、各国に支店があったので、ドイツ国内にとどまらず、バルセロナやスロバキアに飛び、様々なプロジェクトに携わりました。

ちょうどデュッセルドルフにいるとき、ドイツ建築家協会の認定建築家となられたんですよね。

ミ:はい。ドイツでは、大学を卒業して実務経験2年ほどで建築家協会に入るのが一般的です。所定の証明書を提出し、基本設計から実施設計までひと通り経験したことが認められると、規定のセミナーやテストを受けて認定建築家になります。しかし、それで終わりではなく、年間16時間、Weiterbildung(継続教育)として講習会に参加することが義務付けられています。代替エネルギーや、構造、設備、消防法、バリアフリーなど、幅広いセミナーの中から選択できます。エネルギー法のように、毎年のように更新される内容もあるので、建築家として常に勉強できる環境は優れていると感じます(州により詳細は異なる)。

ドイツでは、建築家、医師、弁護士が三大自由業とされています。それぞれの協会で特有の年金システムを有していて、一般的な国民年金よりも受給額が多いです。建築家という職業が、日本よりもドイツの方がはるかに社会的な地位を得ている点が素晴らしいと思います。

現在は、設計事務所に所属し、オフィス設計に重点を絞ってらっしゃいますが、以前は舞台デザインを手がけることもありました。ミンクスさんご自身、どちらに意欲を持たれていますか?

ミ:今はオフィスの設計が面白いです。コロナ禍を経て、働き方が変わったことで、表面的なデザインだけではオフィスって機能しなくなってるんですよね。例えば、ホームオフィスがメインで週に1、2日しか社員が出社しない会社があるとします。それぞれ自分用の個人デスクは必要ないから、打ち合わせ用の小さな部屋を充実させたいところもあれば、各部署の人が集まってプロジェクトベースで作業ができる大きなスペースが欲しいところもある。

私のいる設計事務所では、そういったニーズを最初にワークショップで話し合った後に、設計して実現します。社長一人の判断でオフィスのレイアウトが決まることは、もう成立しなくなっています。オフィスの引っ越しが伴う場合は、引っ越し先の不動産探しから一緒にすることもあります。

企業が有能な人材を見つけるのは、どんどん難しくなっています。とくに若い人たちは、働き方やオフィスのデザイン、リモートワーク(PCや携帯の配給など)が可能かどうか、労働時間の設定など、給料の額だけではなく、いくつもの点を考慮して職場を選んでいます。

建築家のお仕事の傍ら、2011〜2019年には、空き家を再生して日本関連のイベントを行う「日本の家」プロジェクト、2015年からは、空き家となった消防署を社会文化施設に展開する「Ostwache」プロジェクトの代表をされてるんですね。

全ての画像は日本の家- Das Japanische Haus e.V.・ミンクスさん提供

ミ:2011年、私が長女を産んで3ヶ月ぐらいの頃、東日本大震災が起きました。家でニュースに釘付けになっていたけれど、自分でも積極的に動きたいと思ったとき、「日本の家」プロジェクトの立ち上げを聞き、一緒に始めたのがきっかけです。

週に2回、ここで作った料理を提供する「ご飯の会」は、自分で決めた額を寄付する投げ銭方式。誰でも気軽に入ってこられる、そういった場所を提供したパイオニア的存在として「日本の家」を、ライプツィヒの人たちが大切に思ってくれているのはとても嬉しいです。私はもう引退しましたが、地元のドイツ人と日本人グループが引き継いでくれて、今でも活動は続いています。

「Ostwache」では、具体的にどのような活動をされていますか?

ミ:「日本の家」の活動を通して、一つの非営利団体で賃貸物件を借りて家賃をやり繰りすることに限界を感じました。もっと大きなスケールでいくつもの団体で使える場所があればと思っていたところ、ライプツィヒ東部の消防署が空き家になると聞いて、このプロジェクトを始めました。現在は、改修工事が始まる段階で、毎年夏と秋に大きなフェスティバルを開催しています。また、夏と秋の間は、週末ごとに、グラフィティーのワークショップなど、ちょっとしたイベントも行っています。

仕事のほかに、そんな大きなプロジェクトを運営されるとはフットワークが軽いですね!

ミ:楽しいからやってるだけですよ。職場と子供たちの学校以外に、ドイツ社会に積極的に関わる場所としてやっている趣味です。あと、行政が決める都市計画ではなく、自分たちの手で自分たちの住む環境を作るという根本的な姿勢はとても重要だと思っています。

趣味から派生して、ちょっとプライベートな話になりますが、旦那様も建築家をされてるんですね。

ミ:ウィーンの設計事務所に勤務時、隣に座っていたドイツ人と、後に結婚しました(笑)。なので、今ドイツに住んでいるのは、たまたまです。

旦那様と仕事のことでアドバイスしあったりすることもあるのですか?

ミ:そうですね。彼は建物全体の設計をしていて、私は内装がメインです。となると、例えば材料については、私の方が詳しいので、そういったお互い得意分野の情報を交換したりしています。

お二人とも建築家という職業柄、気になる建築物を見に行くなど、仕事に繋がる共通の趣味をお持ちだったりするのでしょうか。

ミ:旅行の際は、機会があれば少し料金が高くなっても、建築家が設計したところに泊まるようにしています。そうすると二人ともあちこちの詳細が気になって、寸法を測ってスケッチを描いたり、ここはもっとこうした方がよかったのにと、批評会が始まります(笑)。

お子さんの幼稚園の増改築を手伝うことがあったそうですが、ご自宅の方も、ご夫妻自ら手がけられるのですか?

ミ:古いWohnungを購入した際、キッチンやお風呂の位置から根本的に変えました。大掛かりな設備関係はそれ1回きりですが、住みながら、ちょっとずついろんなところに手を入れていますね、気がつくと。娘二人は12歳と8歳で、いつか家を出たときに、子供部屋をどうするかで、また変えることになりますね。


日曜日の早朝、オンラインでのインタビュー。ミンクスさんは、小雨の中、軽やかに外を散歩しながら応じてくれました。

時折聞こえる、小鳥のさえずり、傘を叩く雨音は、ミンクスさんが、仕事やプロジェクト、プライベートまで、すべてを無理なく楽しんでいるのと重なって、インタビューしているこちらまで和んでしまいました。

ミンクスさん、お休みの日にもかかわらず、心よくインタビューを受けてくれてありがとうございました!




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