透明度が高く、幻想的な色合いを表現できるボロシリケイトガラスを素材に、魅力的な作品を作り出すガラス作家、早川和明さん。氏のガラス作家生活や、作品に対する想いなど、NIPPONip 本誌 67号に載せきれなかったインタビューを追録いたします。
*編集=以下、編 早川さん返答=以下、早
編:早川さんが大学時代に出会ったガラス作品。まったく経験のなかったガラス作家への道を踏み出すきっかけとなりましたが、よほどの衝撃があったのでしょうね。
早:はい。ガラスのペンダントだったんですけど、その中に立体的で幻想的な模様が描かれていて、なんだこれは!と。僕の地元の長野には、とんぼ玉や吹きガラスもあるので、たまに見てたりはしたのですが、それとは全然違うガラス…というよりガラスにも思えない不思議な雰囲気に魅せられました。
編:ガラス作家になる以前、工芸とか何か創作活動はされていたのでしょうか?
早:いえ、全然!就職活動をする一方、日本全国にいるガラス作家さんたちに会いに行って、生き方や表現すること、生活についてなど様々な話を伺ううちに、ワクワクしていって。
両親には無茶苦茶反対されましたし、大変かもしれないと思ったけど、それ以上に、ガラスの世界で表現したいという思いが爆発しちゃって!お会いした作家さんたちのように人生を楽しめるし、自分だったらもっと色々できると思いました。勝手な自信ですけど(笑)。
編:2006年、石岡大和さんに師事されましたが、経緯を教えていただけますか?
早:石岡さんのアトリエにお話を伺いに行ったり、作品を色々見せていただいたりして、教えてもらうならこの人と決めていました。ただ石岡さんは、師匠から数年は人に技術を教えてはいけないとお達しを受けていて、弟子を取れなかったんです。
でも何度も通って気持ちを伝えているうちに、石岡さんが師匠に掛け合ってくれて無事教えてもらえることになりました。
編:早川さんの熱意が身を結んだんですね。
早:アトリエに通ったほか、彼が出るイベントにも顔を出したり、邪魔だったかもしれないですね(笑)。でもお話を聞きながら、ノートにメモを取ってたら「そんなことする人初めて見たわ」って言われました。大学生の真面目スタイルが、石岡さんの心に留まったのかもしれません。
編:石岡さんに教わった期間がなんと3週間!
早:はい。1日6時間で、土日はなしの3週間だったので、すごく短いですよね。ガラス制作の基本以外に、石岡さんのオリジナリティーの部分を深く知りたかったんですが、師匠は自分の技をいっさい見せてくれませんでした。
表現したいことは自分で追求させるという方針だったようです。
良い友達と言ったらおこがましいけど、師弟関係であり、いろんな話をする人でもあったので、自分が表現者となったとき、同じガラス世界で刺激を与え合いながら、コラボするなど一緒に楽しいことができたらいいなと思ってました。
編:今でも交流はあるんですか?
早:それが残念なことに、私が創作活動をはじめて数年後、若くして亡くなってしまったんですよ。「一緒に色々やろうね」と話をしてた中での急な訃報で言葉がありませんでした。
ただ、2007年、長野で初めて開いた私の個展に石岡さんが来てくれたとき、宇宙を表現したその個展を「うひゃー、こんなのどうやって作ってんの?!」って言ってくださったのは、めちゃくちゃ嬉しかったですね。今でも心に残っています。
編:喪失感は計り知れないですね…。稀少なボロシリケイトガラス作家さんでもあったのに。
早:そうですね。当時はすごくボロシリケイトガラス作家は少なくて、全国でも数十人くらい。ジェネレーションとしては、石岡さんの師匠とかが日本で一番最初に広めた第一世代、石岡さんたちが第二世代、そして僕らが第三世代。歴史的に見ると新しいんですよね。
編:ボロシリケイトガラスの本場、アメリカに行かれましたが、そこでもどなたかに師事されたのですか?
早:師事はしませんでしたが、日本からアーティストの方にコンタクトをとり、彼のスタジオで一緒にセッションさせてもらいました。彼もボロシリケイトガラスを使っていましたが、人間の歯とか、植物からベロが出てるようなモチーフだったり、色使いも技法も、ぼくとはまったく違いました。それと性格も!
面白かったのが、彼のアトリエでガラスを作ったときのこと。良い感じに作品ができたので、そのまま電気炉に入れておいて、翌日取り出そうとしたら、それがない!彼に聞いたら「納得いかないから手直ししておいてあげたよ」って。
ぼくの綺麗な宇宙が引き伸ばされて、歯や口がついて仮面みたいになって、最終的には割れちゃうという結末。納得いかないってぼくのなのに!(笑)怒るよりも、こんな人もいるんだなーって笑ってしまいました。
編:ジャイアンみたいな人ですね(笑)。たくさんの刺激を受けて日本へ帰国。その後、ドイツに移住されましたが、ボロシリケイトガラスのマーケットがないドイツで、早川さんの作品は、どのように受け止められたのでしょう?
早:ドイツでの最初の大きな展示は、2015年、ハンブルクで行われた「MKG Messe」でした。模様などは日本と好みが違ったりするんですけど、嬉々とした表情で作品を手にとり購入されていく方がたくさんいて、嬉しかったですね。
中には、再入場までして「こんなに美しいものを作ってくれて本当にありがとう」とお花を買ってきて下さった人もいて感動しました。
編:一般的なガラス作品と比べた早川さんの特性やポイントは?
早:作品の模様や空間を作り上げた展示などでしょうか。ガラス制作を始めた2006年は、宇宙や生命をメインテーマに表現しているバーナーガラス作家は、ぼくの知るかぎり、ぼく以外にいなかったと思います。
ボロシリケイトガラスを扱う人でも、ぐるぐるした模様とかお花とかの表現がほとんどでしたね。
編:空間を作り上げた展示で、印象深いものはありますか?
早:2022年、日本の蔵で行った個展「部分と全体」です。
真っ暗にした会場に、スポットライトでガラス作品に光を当てながら、さらにガラスを散りばめました。四角い蔵の中に、四角と丸の展示台を作るなどして、タイトルでもある「部分と全体」を表現。
早:蔵自体は四角で「全体」、それが展示物に寄ると、その展示物一つは全体の中の「部分」だけど、パーツ全部を合わせると「全体」…というように、見ようによって「部分と全体」が変わるのを表しました。
編:ガラス作家になる以前から、宇宙にご興味がおありだったんでしょうか?
早:小学生の時に佐渡島で夜釣りをした際、信じられないほどの満天の星空に魅了され、釣り糸を垂らしながら寝そべってひたすら星空を見ていたことを鮮明に覚えています。
高校生になると家を抜け出し近くの山から星を見るのが楽しみに。一人で行ったり、友人と行ったり、星空の下、大地に寝そべり、自分自身と向き合う、未来や希望の話をする・考える。満天に広がる星空を見てまるで自分自身の内に広がる心や可能性を見ているようで躍動していました。大学生、大人になってからも続いています(笑)。
編:早川さんの作品はバーナーワークで作られますが、ほかの手法も使われますか?
早:ごくまれに他の手法を使うときもありますが、ほぼバーナーワークにて作品制作をしています。
編:日本では、パート・ド・ヴェール技法(糊で練ったガラス粒を型に入れて焼成するガラス工芸の一つ)が人気ですが、ドイツでも人気があるのでしょうか。
早:うーん。ぼくの知ってる限りでは、あまり聞かないですね。ラウシャというガラス作りが盛んな村があるんですが、そこでもメインは吹きガラスやバーナーを使ってると思うので。スクールでもパート・ド・ヴェールはあまりないような?!
編:ドイツで主流なガラスワークというのはあるんでしょうか?
早:バーナーで溶かしてビーズみたいなのを作るというのが比較的多いのかな?と思います。あとは、パート・ド・ヴェールのように電気炉で作るんですけど、それとはまた違う技法で、ガラスに粉を撒いて絵を描いたり、ガラスに絵を描いてそれを焼いたり、というのはあります。
編:ドイツでガラス作家をしていく上で、良かった点、ご苦労された点などはありますか?
早:良かった点は、表現を通して、感動してくださる方々が大勢いてくださること。苦労した点は、ルールや規制が厳しく制作できる環境を整えるのが大変だった点です。ガラス素材を購入する時の梱包やガラス素材の質の悪さに苦労もしています。
そういえば、日本で普通にできていた表現が、ドイツでは同じようにしても全然できないことがあり困っていました。3年くらいずっと謎のままだったのですが、原因はガラスに付着している汚れだと判明。
日本だと、汚れがつかないようきちんと保管されているけど、ドイツだと、目で見てもわからないくらいのレベルの汚れがついていたりするんですね。
この謎を解明するまで、大量の失敗作を生み出しちゃいました。でもそのおかげで、違う表現方法ができたので、それはある意味感謝なんですけど(苦笑)。
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一つ一つの質問に、真摯に、時に笑いを交えて答えてくださった早川さん。
自分の力作を壊されても笑い飛ばせる大らかさ、作品が思うようにいかないとき、新たな表現方法を生み出すなど、転んでもタダでは起きない精神力、星空を眺め様々なことに想いを巡らす繊細さ…それらを持ち合わせる早川さんのお人柄が、作品や展覧会にも反映されているのだなと感じました。
近い将来、ドイツか日本で早川さんの新たな作品が見られるのを心待ちにしましょう!