ドイツでは、新年が明け、1月6日のHeilige Drei Könige (ハイリゲ ドライ ケーニゲ = 三聖王節)の終わりとともに、クリスマスの飾りつけを片付けると、スーパーやパン屋さんなどの街中のお店や、家庭内での飾りつけが、色とりどりの水玉やコンフェッティ(紙吹雪)などを使った、派手なものになります。 そしてなぜか、仮装をした大の大人や、顔に蝶や花などを描いた子供を街に見かけるようになります。それというのも、まもなく Karneval – カーニバルがやってくるからです。
謝肉祭(カーニバル)とは?
ドイツの謝肉祭(カーニバル)と言われて日本ではあまりピンとこないのではないでしょうか。
本来はカトリックなど、西方教会の文化圏で行われる四旬節の区切り的行事の一つであり、移動祝日にもなる、お祝いの行事のひとつです。
何を祝うのか? と言われると諸説あるようですが、その中で有力なのが、もともとケルトの文化圏にあった「春の到来を祝う」という説もあれば、「豊穣祈願」という説もあるようです。 確かに、謝肉祭の時期を過ぎると北ヨーロッパにあるドイツでも、気温が少し穏やかになります。
謝肉祭(カーニバル)の歴史ー古代
謝肉祭(カーニバル)の起源は、古くをさかのぼれば、5千年前のメソポタミア文明に見られるそうです。 当時すでに都市文化をもっていたメソポタミアでは、紀元前3世紀にすでに、神の象徴的な結婚式として、新年のあと、7日間にわたる祭りが、司祭王グデアの下で祝われた、とバビロニアの古い碑文に記されています。
この碑文にはさらに、「この期間中、穀物は挽かれることはなかった。奴隷も主人と同じように扱われた。上下関係は取り払われた。」と記されており、この平等の原則こそが、謝肉祭(カーニバル)の特徴的な要素ともいえるものとなっています。
他の地中海文化圏でも同様に、春の自然の覚醒に関連する祭りを見ることができます。
エジプトでは女神イシスをたたえて熱狂的な祭りが祝われ、ギリシャではディオニソス神のために祝い、それをアポクリスと名付けています。
ローマでは12月17日から19日まで、彼らの神であるサトゥルヌスをたたえ、サトゥルナリアを祝いました。この祭りは、だれもが招待され、また無礼講が許されていたそうです。さらにサトゥルナリアの期間中は処刑は延期され、奴隷と主人はそれぞれの役割を交換し、頭に花輪を載せ、同じテーブルについて飲食をし、小さなバラの花をまき散らして楽しんだそうです。 現在のコンフェッティ(紙吹雪)は、このバラの花の名残りかもしれないといわれています。
また、現在私たちが知っているカラフルな謝肉祭のパレードも、ローマ時代にすでに開催されていたようです。当時は飾りつけをした船を用いてパレードしたということです。
また、キリスト教以前のヨーロッパ、ケルトの宗教儀式でも、暗く寒い冬の半年間から、明るく温かく、実り多い夏の半年間への移り変わりということで、様々な仮面や人形などを使った季節行事があったようです。
人々は、冬を体現化するものとして幽霊やゴブリンその他の不気味な仮装をし、それを木の棒で打ったり、ガラガラやラチェットなどでけたたましい音を立てることで、冬を追い払い、春を呼び寄せようとしたということです。
欧州の一角、チロルおよび南チロル地方では、現在でも、このような「光と闇」「善と悪」「冬と春」の闘争を象徴する行事があります。
謝肉祭の歴史ー中世から現代
16世紀末ごろの中世ヨーロッパでは、12月からでの1月6日の公現祭(エピファニーデー)の頃に、教会で愚か者の祭りが祝われましたが、教会で祝われるとはいえ、これは教会公式のものではなかったそうです。 なんだか複雑な事情があったようですね・・・
さて、16世紀に、ドイツでは主にマルティン・ルターによって推進されたReformation(宗教改革)により、謝肉祭(カーニバル)は疑問視されました。 プロテスタントの地域では、多くの関連する習慣が、一部忘れ去られることとなりました。
それに続く、バロックおよびロココの時代では、謝肉祭(カーニバル)は主に、城や王宮で行われていたそうです。当時は一般庶民のたしなむものではなかったのでしょうか。
地域毎に名称も掛け声も違う、ドイツの謝肉祭(カーニバル)
ドイツの謝肉祭(カーニバル)は各地域により、その祝い方も非常に異なります。
まず、名称ですが、ドイツ語での有名なものは、ドイツ北西部での名称、Karneval – カルニバル、または南東部でのFasching – ファッシング、また、南西部のFastnacht – ファスナハトでしょうか。ほかにも合計8種類の名称があります。
どの地域で、どのような名称になっているのかは、下の地域分布図をご覧ください。
また、呼び名だけでなく、地域ごとにより謝肉祭(カーニバル)の祝い方が違っています。コンフェッティを振りまきながらかける掛け声が違っていたり、仮装パレードや、Umzug – ウムツーク と言われる山車の様子も、地域の人々の祝い方もそれぞれの特色が豊かです。
ドイツ語圏では、謝肉祭(カーニバル)の「拠点」は、ラインラント地方とシュヴァーベン=アレマン地方といわれています。
ケルンやデュッセルドルフなどドイツ中西部では、街中を山車(パレード車)が練り歩き、山車に乗った仮装した人々によってお菓子が投げられ、子どもたちがお菓子を集めたりとドイツ国内でももっとも謝肉祭が盛り上がる地域です。
特にケルンでは「Alaaf!ーアラーフ!」と謝肉祭独特の声を掛け合い、隣接する都市デュッセルドルフでは「Helau!ーヘラウ!」とまた違った特別な声を掛け合います。 ちなみに、アラーフ派かヘラウ派で対立したりもするようですが、どっちがどっちかわからなくなった時はパレードから投げられるお菓子の名前は共通なので、とりあえず「Kamelle! – カメレ!」と叫んでおくのが無難かもしれません。
ミュンヘンのあるドイツ南部地域では、謝肉祭(カーニバル)はファッシングと呼ばれ、全員が声を合わせるような、特別な掛け声などは特にありません。 伝統的に仮面をつける風習がある地域もあります。
謝肉祭、一連の関連行事
2020年の行事一覧: 2月16日 13:13 “Damischen Ritter” 「ダマスカスの騎士」と呼ばれるミュンヘンの市内パレード
ミュンヘンでは本格的なファッシングの開始に先駆けて、一足お先にダマスカスの騎士のパレードがあります。
2月20日 Weiberfastnacht, Schmotziger Donnerstag 女性のカーニバル、別名: 生意気な木曜日
南の方ではあまり馴染みがないようですが、ケルンやデュッセルドルフなど中西部では女性が男性のネクタイを切っても良い日。
切られた男性も怒ってはいけないのです。けれど、ネクタイを切られたらご褒美(ほっぺにキス)があるので、沢山安いネクタイを準備しておく男性もいる・・・かもしれません。
2月22日 Karnevalsamstag, Faschingsamstag, Fastnachtssamstag, etc. 謝肉祭の土曜日
Nelkensamstag – カーネーションの土曜日と呼ばれることも。
2月23日 Karnevalssonntag, Faschingssonntag, Fastnachtssonntag 謝肉祭の日曜日
この日は、Tulpensonntag – チューリップの日曜日と呼ばれることもあるそうです。
2月24日 Rosenmontag バラの月曜日
ケルンやデュッセルドルフではこの日にパレードや山車が街中を周り、子どもたちは仮装してお菓子を集めます。
2月25日 Karnevalsdienstag, Faschingsdienstag, Fastnachtsdienstag, etc. カーニバルの火曜日
謝肉祭(カーニバル)が最高潮に達する日。 別名Veilchendienstag – スミレの火曜日とも呼ばれる地域もあるようです。 土曜日から火曜日まで、花の名前がついているのは、なんだか優雅ですね。
2月26日 Aschermittwoch 灰の水曜日
本来はこの日からイースターまでが断食する期間にあたり、謝肉祭もこの日で終わり!となっていました。 またこの日には肉食を避けて魚を食べる習慣があり、普段は魚料理があまり無いドイツのレストランに魚料理が並びます。
ちなみに、スイスになりますが、Baselーバーゼルでは灰の水曜日から次の月曜日から3日間を Basler Fasnacht – バーゼルファストナハトと呼び仮面をつけた楽団がパレードをします。 ドイツのファッシング、ちょっと逃しちゃった・・・!という人はスイスに行ってみるのも良いかもしれませんね。
さらに外国に目をやれば、欧州では、優美な仮面をつけたベニスのカーニバル、ユネスコ無形文化遺産に登録されているベルギー、バンシュのカーニバル、およびスペインでは、サンタクルス・デ・テネリフェのゴージャスなカーニバルや、カディスのカーニバルもよく知られているようです。
また、アメリカ大陸でも、たとえばブラジルはリオのカーニバルが有名ですね。北米カナダのケベックのカーニバル、米国南部、ニューオーリンズでは、カーニバルのフランス語の名称であるのマルディ・グラが使用されています(直訳は脂肪の火曜日、告解の火曜日を意味するそうです)。
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